お休み、の概念間違えてた。
10月に入りましたが、このタイミングで私は人生においてとても重要な件について、大きな勘違いをしていたことに気付きました。
それは、「お休み」です。
お休みがなんなのか、わかってませんでした。
例えば、仕事のシフトとかで、「休」と書かれていると、自分は休んでいるんだ、と思ってました。
ちょっと分かりづらいかもしらんけど、
「休」と書かれている時点で、休んでいる気になっていました。
週3回、「休」と書かれていれば、週3日、十分休んでいる、と思っていました。
や、事実休んでるんですよ、休みなんだから。
出勤しませんし、働きませんよ、休みだから。
だけど、重要なのは、「休」の日数や時間より、質、中身、やった。
これも、本当の意味で気付いてなかったと思う。
頭ではわかってるし、そらそうやろ、て思ってたけど、事実、全然できてなかった気がする。
できてる気になってた、とかでもないかな。
考えもしなかった、という感じかな。
むしろ、「休」が多ければ多いほど、
自分は何もやっていないサボリ魔な気がして、
社会や、世間から、
お前は休んでばかりのくせに家事もろくにしないのか、
そのくせに体調崩すてどういうこと?
て、責められてるような、そんな気がずっとしてた。
なので、休みの日は休みの日で、
家事や音楽やメルカリやらなんやら、
やり出すと終わりがないものを完璧にやろうと
してました。
やらなければ休めない、休んだ気にならない、
そんな性分でした。
むしろ休みの日ほど働いてた気がする。
時間制限とかないから、エンドレスやねん。
でも36年間これで生きてきて、感謝もされたし、凄いね、偉いね、って褒められてきたし、
だから私はただ、やるべき事をやってるだけだと信じてたし、それが正しいことなんだと疑いもしませんでした。
だけど年齢を重ねると共に、体力が落ちてきたり、結婚したり、音楽活動したり、仕事して、家事して、とかってなると、自分の事だけじゃなくて、背負うものが増えたり、心配や悩みや、やる事も増えていく中で、私は「休み」のカラクリに気付けず、
どんどん体に不調を抱え、それでも、こんなもんなんだと思い込み、しんどくなればなるほど、もっと頑張らなきゃ、と深みにハマっていくのでした。
体さえ元気なら、もっと色々できるのに、、、!なんでこんなにしんどいの?
なんでこんなことでしんどくなるの?
そして9月。
風邪を引きました。
正確には風邪かどうか不明です。
まだ治ってません。
微熱と声がれがまだ続いています。
微熱も、たかが微熱でも、続くとキツイです。
仕事もたくさん休みました。
ライブも、すっぽかしました。
こんなことはじめてです。
何してるんやろ、、、
何のために生きてるんやろ、、、
私が頑張りたい事全然頑張られへん
なんでこんなにしんどいの、、、
旦那さんが、常々、
やりすぎ、休み、適当に手抜きや、
って言ってくれていたのですが、
できてると思ってるし、聞く耳持たず、だったかもしれません。
今回の件で見兼ねた旦那さんが、
これからは週1くらいで、
完全オフ日を作ろうと提案してくれました。
完全オフ日とは、家事、買い出しや掃除も含めてご飯も作らない、ほんとにただただ体を休ませるための日です。
そこまでしないと私が休まないから。
その日は、旦那さんが帰って来てから夕飯作ってくれるそうです。
レパートリーは、うどんと鍋しかないけど。笑
昨日、はじめての完全オフ日でした。
何したらいいかわからんかった。笑
それに罪悪感が湧いてくる。
ほんまに何もしなくて良いのかな、と不安になってくる。
習慣て凄い鎖やな、と思った。
でも、夕飯作らなくて良い、て思うだけで、
気の休まりが違うな、と思った。
映画を見ていたら、たまたまなんやけど、
「ガンは、これまでの自分の生き方や考え方を反省し、改めることができれば治る可能性がでてくる、それが出来る人にだけ、治る可能性がでてくる病気なんですよ」
ていう言葉があって、
なんかピーン!ときた。
私はガンじゃないけど、体を壊したり、病気になった時に、どう考えるかで、先の人生変わるよなぁ。
ということで、私は基本中の基本、
体調管理が、出来てないことに気付いてなかった、というお話でした。
それどころか、むしろ、めちゃめちゃ気をつけてるのに、体がどんどん不調になることに対して、かなり神経質になって、より自分で自分を苦しめていました。
あかん!
変わっていこ。
1日2日で、変われるものではないけど、
気付けたことは大きい。
ちゃんと休まな、売れへん。
KAZUYOが元気なかったら、KAJOも元気ないってことやから。
元気ない人、疲れ切っている人のステージなんか見たくない。
見せたくない。
ちょっとずつ私、変わるから、見ててね〜❗️